俺は人間をやめるぞジョジョー!
2007年4月10日 記事紹介 コメント (3)
_転載戯言
★ 虚 無 僧 ス レ ★ (なんたらかんたら)
http://nantara.seesaa.net/article/38308126.html
言われてみれば・・・。
異質な存在だ。なんと表現していいものやら。
たいていの人は神社や地蔵や物の怪(もののけ)などの人外に接すると距離をとるというか、ある種の敬意を払うものだと思う。
特に人の手の入らない山奥なんかでは。
虚無僧の格好はそういった敬意の対象たらしめている気がする。
いるのに、いない、という。
(格好する本来の目的は、ちょっと違うのかも知れないけど)
日本人の宗教観って一体どういうものなんだろうと考える。
それは血統書みたいなものじゃなくていいはず。
一般的で混沌としたものにこそ価値があるはず。
大昔でなくてもいい、今よりちょっと昔の宗教観に比べて、更に人の繁栄した今のそれは、少なくとも退化しているんだろう。
昔からある自然を見なくなった、身近でなくなったことも一因かもしれない。
信じる人も少なくなり、信じる人でも信仰の程度が低くなる。
自然は人間の理解の及ばないものだから信仰に結びつきやすい。人間も自然の一部だと考えられるけど、人間と自然はどうしても対比してしまうものだと思う。
はっきりと見えはしなくても、何となく何かいるような気がして、それは「もったいないおばけ」であったり「こっくりさん」であったり「まっくろくろすけ」であったりする。
それは一昔前のほうが信じる人が多かったような気がする。
位の高そうな神様でもいいが、おかしな妖怪や鬼でもいいのだ。
要は、人間でさえなければ、それは信仰すべきものなのだ。
「何となく信仰」は道徳的に相当に意義がありそうだ。
子供向けの昔話、特に日本の数ある伝奇的昔話、それが信仰を後押ししていると思われる。
子供のころの刷り込みほど効果のあるものはないだろう。
養老の滝うめぇ。
ときにこちらに害を与え、ときに幸いをもたらす。
ときに人間が「かみ」の怒りをかい、ときには共に酒を飲んで踊る。
そんな押しつ引きつつの関係の異質な存在があるからこそ、ある時代で日本の「和」とやらが完成していたんじゃないだろうか。
科学が進み、浸透した現代であっても、それは可能なはずだし、ほとんど可能だったはずだ。
人間らしく、ですぎた行動をしてはならないが、ときに異界との親交を良くすべし。そんな矛盾。しかし抱えていける矛盾なんだろう。
悪いことする宗教やモドキは、いっそまとめて滅びればいいと思う。
でもこういう些細な民間信仰まで消えるのがいいかと訊かれれば答えられないから、完全否定できそうにない。
いち宗教浪人な今日この頃。無神論者、無宗教者よりこんな言葉が適当に思える。下手に手を出して染まるの嫌だから一生浪人でいるのが正解なんだろう。
---
そうだ、トトロを観よう。
やっべ、ビデオ借りるとか億劫すぎる、ビデオ屋の店員に陰で何言われるんだよ、やっべ。
そうだ、やめよう。
★ 虚 無 僧 ス レ ★ (なんたらかんたら)
http://nantara.seesaa.net/article/38308126.html
言われてみれば・・・。
異質な存在だ。なんと表現していいものやら。
たいていの人は神社や地蔵や物の怪(もののけ)などの人外に接すると距離をとるというか、ある種の敬意を払うものだと思う。
特に人の手の入らない山奥なんかでは。
虚無僧の格好はそういった敬意の対象たらしめている気がする。
いるのに、いない、という。
(格好する本来の目的は、ちょっと違うのかも知れないけど)
日本人の宗教観って一体どういうものなんだろうと考える。
それは血統書みたいなものじゃなくていいはず。
一般的で混沌としたものにこそ価値があるはず。
大昔でなくてもいい、今よりちょっと昔の宗教観に比べて、更に人の繁栄した今のそれは、少なくとも退化しているんだろう。
昔からある自然を見なくなった、身近でなくなったことも一因かもしれない。
信じる人も少なくなり、信じる人でも信仰の程度が低くなる。
自然は人間の理解の及ばないものだから信仰に結びつきやすい。人間も自然の一部だと考えられるけど、人間と自然はどうしても対比してしまうものだと思う。
はっきりと見えはしなくても、何となく何かいるような気がして、それは「もったいないおばけ」であったり「こっくりさん」であったり「まっくろくろすけ」であったりする。
それは一昔前のほうが信じる人が多かったような気がする。
位の高そうな神様でもいいが、おかしな妖怪や鬼でもいいのだ。
要は、人間でさえなければ、それは信仰すべきものなのだ。
「何となく信仰」は道徳的に相当に意義がありそうだ。
子供向けの昔話、特に日本の数ある伝奇的昔話、それが信仰を後押ししていると思われる。
子供のころの刷り込みほど効果のあるものはないだろう。
養老の滝うめぇ。
ときにこちらに害を与え、ときに幸いをもたらす。
ときに人間が「かみ」の怒りをかい、ときには共に酒を飲んで踊る。
そんな押しつ引きつつの関係の異質な存在があるからこそ、ある時代で日本の「和」とやらが完成していたんじゃないだろうか。
科学が進み、浸透した現代であっても、それは可能なはずだし、ほとんど可能だったはずだ。
人間らしく、ですぎた行動をしてはならないが、ときに異界との親交を良くすべし。そんな矛盾。しかし抱えていける矛盾なんだろう。
悪いことする宗教やモドキは、いっそまとめて滅びればいいと思う。
でもこういう些細な民間信仰まで消えるのがいいかと訊かれれば答えられないから、完全否定できそうにない。
いち宗教浪人な今日この頃。無神論者、無宗教者よりこんな言葉が適当に思える。下手に手を出して染まるの嫌だから一生浪人でいるのが正解なんだろう。
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そうだ、トトロを観よう。
やっべ、ビデオ借りるとか億劫すぎる、ビデオ屋の店員に陰で何言われるんだよ、やっべ。
そうだ、やめよう。
コメント
暇達さんが、てっきり、叫んでるのかと思ったよ〜。
柳さんが日記消しちゃった所だからね!
消したりしないでよ、も一度思い出すなんて作業、人間にはできないんだから♪
でもあれ、絶対バックアップ取っとかなきゃもったいないよね?
柳さんは、復活されたのに残念ですね。そのときそのときで一所懸命なスタイルだったから思い切れたのかな…。
自分は消さないのでご安心を。
必要なメモもあると思いますし、やる気があるとき適当にやるのが性にあってるので消すのはちょっと。
バックアップ機能がまだ未完成みたいで、待ち遠しいかぎり。